第1回 自分のものは何もない。かりものにありがとうを。
「自分のもの」だと思っているもの
こんにちは、滋賀のお悩み相談所|天理教蒲生大教会の安井です。
さて、私たちは、普段こんなふうに話をします。
「自分の体」
「自分の家」
「私のお金」
「私の仕事」
「私の家族」
どれも、自分にとって大切なものです。
けれど、少し立ち止まって考えてみると、どうでしょう。
自分の体は、自分の思い通りになるでしょうか。
「今日は絶対に疲れない」と思っても、身体を動かせば、疲れます。
「病気になりたくない」と思っても、病気になることがあります。
「ずっと元気でいたい」と思っても、年齢とともに体は変化していきます。
特に、命に関わる病気や事故に遭うと「自分の身体ではない」ということと、「生かされて生きている」ということが、まざまざと感じられます。
私たちは、自分の力だけで生きているわけではありません。
「かりもの」という考え方
では、誰の力で生きているのでしょうか。
天理教では、人間の体を「かりもの」と教えていただきます。
教祖は、
「人間の身の内というのは、みな神様よりのかりもの。わがものというは、心一つの理よりない」
と教えてくださいました。
これは、
「自分の体は自分のものではないから大切にしなくていい」
という意味ではありません。
むしろ、その反対です。
お借りしている大切なものだからこそ、大切に使わせていただく。
そして、今こうして生きていることそのものに、
「ありがとうございます」という感謝の心を持つ。
それが「かりもの」という考え方です。
「ありがとう」から一日を始める
蒲生大教会では、参拝の前に御礼の言葉を声に出して読んでいます。
その中に、
「本日も結構な身上をお貸しいただきありがとうございます。」
という言葉があります。
朝、目が覚める。
息をする。
足で歩く。
目で見る。
人と話す。
ご飯を食べる。
考える。
笑う。
私たちは、こうしたことを毎日しています。だからこそ、つい「当たり前」だと思ってしまいます。でも、一つひとつを考えてみれば、実は当たり前ではありません。
天理教では、目で見ること、息をすること、歩くこと、話すことなど、私たちの体の働き一つひとつも、親神様のご守護によって与えられていると教えていただきます。
そう考えてみると、
「今日も生きている」
ということだけでも、有難いことなのかもしれません。
娘から学んだ、反省の「ありがとう」
実は私、最近、大失敗をしました。
娘と車に乗っていた時のことです。
ふと娘が、
「お父さん、お店でお菓子買ってくれてありがとう」
と言い出しました。
続けて、「夏休み、こどもおぢばがえりに連れて行ってくれてありがとう」
と昔のことまで、ありがとうと口に出したのです。
私は、その言葉を聴いて「感謝を言えるって素晴らしい!よく出来ました!」と嬉しくて褒めちぎりました。
と同時に、「そういえば、信者さんから、野菜を御供いただいて、まだ御礼伝えてなかったな」と自分を省みると、全然よく出来ていない自分に気づき大反省しました。
「ありがとう」という感謝は、忘れがちです。気づいたらすぐに感謝をお伝えしたいものです。
蒲生大教会では、
「親子、夫婦、身近な方をお与えいただきありがとうございます。」
とも御礼申し上げます。
家族がいる。
話をしてくれる人がいる。
自分を心配してくれる人がいる。
一緒に笑ってくれる人がいる。
これも決して当たり前ではありません。
そして、
「衣食住の環境をお貸し与えくださいましてありがとうございます。」
とも御礼申し上げます。
住む家がある。
着るものがある。
食べるものがある。
安心して眠れる場所がある。
こうして考えてみると、私たちの毎日は「ありがとう」でいっぱいです。
「かりもの」と思うと、人にも優しくなれる
「これは自分のものだ」
そう思い始めると、
「もっと欲しい」
「自分のほうが大切だ」
「どうして自分ばかり」
という気持ちが生まれることがあります。
一方で、
「今あるものを、神様からお借りしている」
と考えてみる。
すると、
「ありがたいな」
「大切にしよう」
「誰かのためにも使わせてもらおう」
という心が生まれてきます。
「かりもの」の理を心に治めることで、身勝手な心や強欲な心から離れ、心を明るく、仲睦まじく暮らしていくことができると教えていただいています。
そして「丸い心」へ
ここに、今回のテーマである
「丸い心」
がつながってきます。
自分のものだと思えば、自分中心になりやすい。
でも、
「すべてを与えていただいている」
「お借りしている」
という心になると、自然と周りへの感謝が生まれます。
そして、
「自分だけ」ではなく「みんなで」
という気持ちが少しずつ育っていきます。
それが、人と人が丸い心でつながっていくための第一歩なのではないでしょうか。
今日からできる「かりもの」の実践
難しいことをする必要はありません。
今日、ふとした瞬間に、
「ありがとう」
と一度言ってみてください。
朝、目が覚めたら、
「今日も体をお貸しいただいてありがとうございます。」
家族を見たら、
「一緒にいてくれてありがとう。」
食事をするときには、
「今日も食べられてありがたいな。」
そんな小さな「ありがとう」で十分です。
「当たり前」を一つずつ「ありがたい」に変えていく。
それだけでも、心の景色は少し変わってくるかもしれません。
おわりに
私たちは、たくさんのものに囲まれて生きています。
体も。
家族も。
住む場所も。
食べ物も。
そして、今日という一日も。
その一つひとつを「自分のもの」として握りしめるのではなく、
「お借りしている大切なもの」
と受け止めてみる。
すると、感謝の心が生まれます。
感謝の心が生まれると、人に優しくなれます。
人に優しくなれば、人とのつながりが温かくなります。
一人ひとりの心が丸くなり、その丸い心がつながっていく。
それが、蒲生大教会が目指している、
「丸い心で繋がり、心澄み切る成程の人へ」
という歩みの、最初の一歩なのだと思います。
今日も、いただいているものに感謝して。
「ありがとう」から一日を始めてみませんか。
🌿 蒲生大教会が大切にしていること
蒲生大教会では、
「丸い心で繋がり、心澄み切る成程の人へ」
を目標に掲げています。
このブログでは、「丸い心十二カ条」を一つずつ取り上げながら、教祖のお教えを日々の暮らしの中でどう実践できるのかを、皆さまと一緒に考えていきます。
一人ひとりの心が丸くなり、その心がつながっていく。
そんな毎日を目指して、共に歩んでまいりましょう。